第一マルユー旅館が建った頃は、まさにバブル絶頂期の時です。
この景気がいつまでも続くと信じ込んでしまっていた私は、第1マルユー旅館を建て替えてから、僅か2年後には第3マルユー旅館を建てたのです。
その時の私は、第3マルユー旅館の借金は3年で返せると信じ込んでいました。
ですが、
その1年後まさにバブルは弾けました。
ビジネスホテルが次々と出来るし、マルユー旅館と同じような旅館もたくさん出来ました。そして、どこの旅館にも看板に値段が表示されるようになり、マルユー旅館より値段を下げて表示してあるのです。
また、私は悩みました。『どうしたら、この値段競争に勝てるのか?』悩み始まると、
1ヶ月でも2ヶ月でも自分の世界に入り苦しむのが、私の性格。自分を追い込めば追い込むほど、いいアイデアが生まれるのです。
そして、ついに閃いたのです。安い旅館では、設備の整ったホテルと対抗しても勝てるわけがない。
そこで私は、
逆に値段く高く、他のホテルや旅館さんがやっていない蟹専門の
割烹旅館をやってみようと思いました。
第1マルユー旅館・第3マルユー旅館は、今まで通りビジネス・工事関係・長期滞在・学生・合宿、
第2マルユー旅館は、食事を楽しんでもらう宿、現在の『かにのお宿』の誕生です。
両親は、『かにのお宿』を営業開始する時に、また、自分の娘が苦労する事を心配して、反対をしました。やはり、スタート後2ヶ月間は1人もお客さんがありませんでした。
「またか!」予想はしてたが、ここまでお客さんが入らないとは思いませんでした。
なんとかしたい一心で、市役所通りで無料食事券を配りました。
『恥ずかしい。前よりもっともっと恥ずかしい。でも、頑張るしかない。やめられない。』
いろんな思いが込み上げてきました。自分の心がすたれそうになりました。
でも、私にはどこの旅館にも負けないスタッフが、私を信じて支えてくれました。
試行錯誤の結果、1人また1人と、お客さんが増えました。本当にありがたいことです。
そして、第2マルユー旅館は今の
『かにのお宿』
に生まれ変わりました。
気が付くと、私ももうすぐ60歳です。
二年前には、主人をガンで亡くし、
去年は、母を亡くし、私の周りから、
大切なものが一つ一つ消えて行きます。
母は、常に旅館を手伝ってくれました。
『かにのお宿』のバラ風呂は、
母の一言からヒントをもらって始めたのです。
母は亡くなる10日前に私に
「悦子。私は宝くじに当たったんだよ。」
「何言ってるの。いつ、いくら当たったの。」
「そうじゃなくて、私の宝くじは、じいさんだよ。何よりの宝くじ、こんな宝くじはないよ。」
その言葉が、母の最期の言葉でした。
私は、母も父も悩ませ、苦しませ、
決して良い娘ではありませんでした。
これからも、どんな試練が私を待ち構えているのか。
それも楽しみ。
旅館は私の天職。
今は、母の遺してくれた宝くじ(父親)を大切に頑張ります。
そして、宿泊してくれるお客様も大切に頑張ります。
どうか、皆さん、遊びに来て下さいね。
有限会社マルユーたなかや
マルユー旅館代表 田中 悦子
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